その001:分かると出来るの違い
合格賢人の教えその1
落ちる人は、「分かる」にコミットする。
受かる人は、「出来る」にコミットする。
まずは、記念すべき第1弾、講義で再三再四お伝えしている最重要な考え方から。
それは、
「分かる」と「出来る」は違うということ
これ、めちゃくちゃ重要ですよ!
下記に「分かる」と「出来る」の違いを記載してみます。
「分かる」:知ること、理解すること=知識を得ること(キーワードは「インプット」「講義」「暗記」)
「出来る」:解けること=能力を得ること(キーワードは「アウトプット」「演習」「反応」「無意識」「習慣」)
落ちる人が「分かる」にコミットする理由、それは
分かる=出来る(厳密に言えば、分かった=出来た)という錯覚に起因しています。
だから、何かを知ったら、それはイコール出来たこと という錯覚が、いつまで経っても「出来る」境地に至らない理由なのです。
換言すれば、「分かる」と「出来る」の違いが分かっていないのです。
以下、具体例で説明してみます。
その1.車の運転(左折の仕方について)
教習所では左折の仕方について、下記のように習います。
まず、進行方向に2車線以上ある道路の場合には、車線を一番左に変更しておきます。
交差点手前で十分に減速し、左のウインカーを出します。
後方から来る自転車やバイクを巻き込まないため、サイドミラーを確認します。
横断報道を歩く歩行者に気を付けて、ハンドルをゆっくり左に切ります。
はい、左折の出来上がり!
分かりますよね?
じゃあ、公道を走ってみましょう。
え、出来ない?
分かる=出来るの等式が成立するなら、一度話し聞いて理解したんだから、運転できるはずです。
でも、実際は出来ないですよね。
だから、分かることと出来ることは別物なんです。
その2.たまねぎを1cm幅に切る
下記の動画が分かりやすいですね。
良かったらご覧ください。(音が出ますので注意!)
切り方は分かりましたよね。
では、やってみましょう。
男性は(私も含めて)料理をやらない人も多いでしょうから、実際に包丁を握って、等間隔に切ろうと思ってもなかなかすぐには上手く行きません。
1cm、0.6cm、1.3cm、0.8cm・・・みたいな感じで、綺麗に等間隔になりません。
分かる=出来るの等式が成立するなら、一度話し聞いて理解したんだから、簡単にできるはずです。
でも、実際は出来ないですよね。
だから、分かることと出来ることは別物なんです。
分かる=出来ると錯覚している人は、実際には分かったことで、「出来た気」になっているだけなのです。
この「詰めの甘さ」を合格者は徹底的に排除するわけです。
これが、冒頭の
受かる人は、「出来る」にコミットする。
という意味なのです。
ではどうすれば、「分かる」を「出来る」に昇華できるのでしょうか?
「分かる」を「出来る」に変換するたった1つの方法があります。
それが、「反復」です。
「分かる」(スタート)⇒反復⇒反復⇒反復・・・⇒「出来る」(ゴール!)
といった感じでしょうか。
車の運転の左折にしても、教習所で何度も反復して身につけて行きます。
1cm幅にたまねぎを切る作業も、反復に次ぐ反復の末に自然と身につけていきます。
世の中のお母さんは、料理をする「習慣」があるため、おそらく「無意識」のうちに包丁を扱っているはずです。
この「習慣」により、或いは「無意識」のうちに身に付いたもの、それが「能力」なのです。
こういった、後天的な能力は繰り返しの反復を通じてしか体得することは出来ません。
会計士試験には先天的な能力、いわゆる「才能」は一切関係ありません。
これは、私が10年以上受験業界に関与してきて、心の底から間違いないと断言できるものです。
私は渋谷という立地で、通学講師をしておりました。
場所柄、駒場東大前からほど近いこともあり、これまでたくさん東大生の会計士試験合格者を見てきました。
彼ら彼女らを見て気付いた事実が1つ。
それは、とんでもない「反復量」をこなしているという事実です。
決して、簿記の才能があるとは思えません。(つーか、簿記に才能もへったくれもないです。)
両親の英才教育により若干3歳にして、税効果会計をマスターした子とか、聞いたことありません。(いたらマジきもいです。)
「好きなものを3つ挙げてくれるかな?」
子:「アンパンマン、トーマス、将来減算一時差異!」とか完全に謎です。
子:「だってぇー、あとで「ぜいきん」がやすくなるから、ぼくすきなんだぁー。」←はじめてのお使いに行ったこともない、消費税払ったこともないガキに言われちゃ、我々はもうオシマイです。
子:「アンパンマン、トーマス、トーマツ!」とか、もはや世も末です。
・・・話が脱線してしまいました。元に戻します。
東大生だから合格した というのは論理が飛躍しています。
正確には、「元々勉強の習慣がある東大生が、しっかりと時間を取って、反復学習を繰り返した結果、合格した。」となります。
上記、@勉強の習慣を持つ、A勉強時間を確保する、B愚直に反復する。
の3要素を充足するのであれば、誰でも合格は可能です。(イヤ本当に。)
重要なことなので、繰り返します。
勉強の習慣作りから始まり、時間をかけて反復を継続していければ、誰にだって合格の可能性はあります!
公認会計士の受験資格に制限がないのは、この当たりに起因しているのだと私は考えます。
どうか、「出来た気」になって、せっかく培った知識が空転する事態だけは避けてほしいと思います。
最後に。
愚直に反復する、というのは比較的地味な作業でもあり、退屈さを伴います。
ここに世界的な投資家であるジョージ・ソロスの格言を示します。
Good investing is boring.(良い投資は退屈なものだ。)
愚直に資産を形成する投資手法というのは、派手さもなく、むしろ退屈ですらある。スリルという名のリスクとは縁遠い訳ですね。
会計士の試験勉強は、紛うことなき自己投資であり、ソロスの言う「Good investing」に該当すると思います。
力を形成している人の勉強って、株式投資と同様、恐ろしく「地味」なんですよ。
人知れず粛々と勉学に勤しみ、人知れず実力を養成し、人知れず合格していく。
愚直に反復することは、換言すれば「繰り返しを恐れない」ことでもあります。
兎にも角にも「反復」を通じて、「分かる」を「出来る」に返還して頂ければと思います。
本日は以上です。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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