公認会計士への道

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その002:意見と事実の違い

合格賢人の教えその2

 

落ちる人は、意見に反応する。

 

受かる人は、事実に反応する。

 

どうも、松本です。

 

さて、今回は「意見と事実」の違いに光を当てたお話をしていこうと思います。

 

私の講義内でもしばしば、この点については言及をしています。

 

情報が洪水のように氾濫する現代社会において、リーチした情報が意見なのか事実なのかの棲み分けは極めて重要なのです。

 

なぜ、意見と事実の棲み分けが重要なのか?

 

そして、なぜ受かる人は意見ではなく事実に反応するのか?

 

この点について、私の見解を述べていきたいと思います。

 

まずは、意見と事実の違いから。

 

意見(オピニオン):個人の判断や考えのこと。主観的な見解。(キーワードは「個人的」「主観的」)

 

事実(ファクト):裏付けの存在する客観的な事象のこと。(キーワードは「科学的」「客観的」「検証可能」)

 

若干抽象的ですが、とある情報が主観的であれば「意見」客観的であれば「事実」と判断することが可能です。

 

この後、めちゃくちゃ重要な話しを述べる上で、意見と事実の違いははっきりと峻別出来る必要があります。

 

いくつかの例題で確認してみましょう。

 

僕はリンゴが好きだ。」⇒個人の主観に基づく嗜好なので、「意見」です。

 

H29年度の会計士試験の論文合格者は1,231名です。」⇒客観的かつ検証可能な事象なので、「事実」です。

 

まぁ、分かりますよね。

 

ではこれはどうでしょう?

 

本日の降水確率は50%です。」⇒科学的検証ができそうな気もしますが、気象庁の主観的な見解なので、「意見」です。

 

雨が降ったか降らないかの検証はできますが、それはこの情報(発言)の後の検証になります。

 

事後的な検証が必要なものは、すべて意見です。(つまりは、「予想」やら「占い」の類はすべて意見です。)

 

事実は即時的な検証が可能です。

 

では、これはどうでしょう?

 

H29年度の論文合格者は、前年比で大幅に増加して、1,231名になりました。

 

H29年度の論文合格者は、1,231名になりました。⇒これは上述の通り、「事実」です。

 

前年比で大幅に増加して、⇒増加は事実(H28年度:1,108名⇒H29年度:1,231名)ですが、大幅だと感じるかどうかは個人の主観なので、大幅に増加は「意見」です。

 

つまり、「意見と事実」が混在している状況なのです。

 

マスコミが伝えるニュースには往々にして情報操作がなされることがありますが、その主だった方法は「事実に意見を織り交ぜる」ことによってなされます。

 

ちょっと実験してみましょう。

 

下記は、事実に意見を織り交ぜた2つの事例です。

 

どちらも事実を伝えている点で、ウソはついていません。

 

が、受ける印象は全く違うものになるはずです。

 

その1

 

H29年度の論文合格者は、2年連続で大幅に増加し、1,231名になりました!

 

その2

 

H29年度の論文合格者は、ピークだったH20年の3,625名から大幅に減少し、1,231名になりました。

 

その1の情報の受け手は、「へー、会計士の合格者って増加傾向にあるんだな。景気もいいし、ちょっと勉強始めてみようかなー。」みたいな印象を受け、会計士受験に積極的に勧誘したい時に(或いは会計士自体に良い印象を持たせたい時に)発信されます。

 

その2の情報の受け手は、「ピークの3分の1程度まで落ち込んでるじゃん。こりゃオワコンだな。弁護士も会計士も食えないね、こりゃ。」みたいな印象を受け、会計士受験にネガティブな人(過去に受験から撤退して、劣等感を感じているような人)が発信します。

 

これがいわゆる「印象操作」というやつですね。

 

同じ情報でも、発信の仕方によって受ける印象というのは全く違うものになります。

 

だから!!

 

「意見」と「事実」を棲み分ける目が必要なのです。

 

では、「意見」と「事実」を棲み分けることで、どのようなメリットが享受できるのでしょうか?

 

最大のメリット、それは、事実だけを掬い取って、自分なりの考察を加えることで、印象操作に左右されない「判断の軸」を持つことが可能となる点に尽きます。

 

「意見」には発信者のノイズが含まれています。

 

何らかの隠れた意図が存在します。

 

会計士に対して、良い印象を持つべきなのか悪い印象を持つべきなのかは、その印象を持たせようとする発信者ではなく、情報の受け手のはずです。

 

つまり、情報の受け手側が自ら、良い印象なのかか悪い印象なのかを判断すべきなのです。

 

この点、発信者の意図が内在する「意見」には、相当程度の「ノイズ」が混入しています。

 

自分で情報の善悪を判別するためには、「意見」を除外して客観的な「事実」に対して主観的な考察を加える必要があります。

 

このことは、誰も言いませんが、本当に重要なことなので、繰り返します。

 

客観的な事実に対して、主観的な考察を加えること

 

これが氾濫する情報に対して、善悪を判断する審美眼を養うただ一つの方法なのです。

 

換言すれば、

 

「事実」に「意見」する。

 

これが情報リテラシーを高める最善策です。

 

もし、「意見」に「意見」すればどうなるでしょう?

 

これもケースを交えて説明してみましょう。

 

例えば、今年の4月にサッカーに日本代表の監督が解任されました。

 

A「W杯の直前に代えても、上手くいかないでしょ。ハリルジャパンのままで良かった。」(←Aさんの個人的見解「意見」)

 

B「いやいや、本田と香川は必要だから、ハリルの解任は妥当でしょ。」(Bさんの個人的見解「意見」)

 

A「何言ってんのwwww?B、頭湧いてんじゃないのwww」(自分の意見の正当性を主張するA)

 

B「ホントAはバカだな。ハリルジャパン、クソワロタwww」(自分の意見の正当性を主張するB)

 

このように「意見」に対して「意見」すると、いわゆる「水掛け論」になります。

 

何の生産性もなければ、建設的な議論にもなり得ない。

 

せっかく、「W杯直前に解任されたという客観的な事実」について、理由を自分なりに推察してみたり、考察を加えたりする力が一向に養成されない。

 

だからいつまで経っても情報リテラシーが養成されない情報弱者のままの域を出ないことになってしまいます。

 

つまり、辛辣ですが「意見」に「意見」するのは、バカがやることなんです。

 

個々人の意見を自由に発信することは何ら問題ないと思いますが、これに反応(反抗)する輩との不毛なやり取りは、自己の成長にとっては大変なノイズになります。

 

そして、そうなる環境上(システム上)の可能性を秘めてしまっている。

 

私がツイッターをやらないのはそこに理由があります。

 

ちなみに、ツイッターは、自己の意見の正当性を他者に認めてもらいたいという、マズローの欲求5段階説で言う「社会的欲求(承認欲求)」を巧みについたツールになります。

 

この社会的欲求(承認欲求)は第4段階目の欲求でしかなく、5段階目に位置する「自己実現の欲求」には敵いません。

 

アナと雪の女王よろしく、「ありのままの 自分になるの」を実践するためには、他者からの不毛なノイズは極力排除する必要があります。

 

落ちる人は、意見に反応する。

 

受かる人は、事実に反応する。

 

冒頭の合格賢人が放つ言葉の意味を理解して頂く一助となれば幸いです。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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