公認会計士への道

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その004:難問と良問の違い

落ちる人は、(講師が考える)難問に反応する。

 

受かる人は、(自分が考える)良問に反応する。

 

どうも、松本です。

 

今回は問題に対する反応についてのお話しです。

 

これ、結構勘違いしている人がいると思いますので、しっかりと理解して下さいね。

 

ではまずは、問題の類型から確認してみます。

 

色々な切り口がありますが、今回は下記の4つの観点から説明していきます。

 

良問反復により基礎力が養成され、本試験での正答が求められる問題 

 

悪問:事実上の出題ミスや解なし問題など、出題として成立していない問題 

 

難問:解答可能な問題であるが、適正難度を大幅に超越した合否に影響が及ばない問題

 

奇問出題者の意図が見えない、何をさせたいのかが不明な問題

 

難易度という観点からA(簡単)〜E(超謎)まで区分けするならば、下記のようになります。

 

良問=Aランク(簡単)、Bランク(普通)

 

難問=Cランク(難しい)

 

奇問=Dランク(不明)

 

悪問=Eランク(超謎)

 

上記の言葉の定義や難易度の観点からの区分けについては、そこまで相違はないかと思います。

 

そして「良問」を落とすことなく、取り切ればその年の試験には必ず合格できます。

 

試験の合否は「良問」をいくら拾いきれるかであって、「難問」をいくら取ったかで合否が決まることはありません。

 

だから、ただひたすら反復により力が養成される「良問」を取り切れるように勉強を計画し、実行していく。

 

合格者はこの「良問」に反応していく姿勢が習慣化しています。

 

さて、話はここからです。

 

ここでの問題はズバリ

 

「誰にとって」良問なのか?

 

「誰にとって」難問なのか?

 

ということです。

 

講師にとっては良問と思っていても、受験生にとっては難問に映ることはあり得ます。

 

受験生にとっては奇問だと思っていても、講師からすれば良問に映ることもあります。

 

つまり、「良問」といっても誰にとってなのかによって、相対的に変わるものであることを知っておきましょう。

 

一般的に

 

講師>受講生(講師が受講生よりも上の目線)

 

ならば、受講生が考える「良問」を反復すべきです。(こっちが大半)

 

講師=受講生(講師が受講生と同じ目線)

 

ならば、講師が考える「良問」を反復すべきです。(こっちは少数派)

 

講師が不必要に負荷をかける問題を私は「良問」とは呼びません。

 

講師が受講生より上の目線というのは、例えば

 

・講師が責任回避的である。(自分の講義に落ち度がないこと自体を目的にしている。)

 

・受講生の合格よりも自らの生計のために講義を実施している。(サラリーマン講師のこと)

 

・全範囲を網羅することが、受講生のためではなく、自らのためになる。(「講義でやったよね。」という安心感を講師自身が得たい。)

 

講師自ら制作した答練だから、必ず解いて欲しい旨を指摘する。(苦労して作ったんだから、君らは解きなさい。)

 

強弱をつけずに講義をする習慣がついている。(何が出題されたって大丈夫。私はね。)

 

といった場合の当該講師の目線のことを指します。

 

要は、「受講生の立場に立って、講義を展開できない講師」のことです。

 

こういった講師は、往々にして論点網羅的な「難問」を解くことを推奨する傾向があります。

 

全範囲を含めておけば、責任回避的になれるし、答練で的中したと言えるし、講師としての面目を保てるからです。

 

この点、

 

難しい問題をやっておけば、その中に簡単な問題が含まれているのだから、「大は小を兼ねる」上で有益なのでは?

 

という考え方もあります。

 

しかし!!!!

 

この考え方こそが、不合格者が陥る最悪かつ元凶思考なのです。

 

なぜそう言えるのか?

 

理由が2つあります。

 

ここでは、分かりやすく野球に例えて説明してみます。

 

打者として最も難しいことを「満塁ホームランを打つこと」だと定義してみます。

 

簡単なことを「ヒットを打つこと」だと定義します。

 

ホームランも広義のヒットなので、上記の「大は小を兼ねる」理論なら、ホームランを打つ練習をしておけば、自ずとヒットを打つ練習にもなる。

 

ということになります。

 

果たして本当にそうでしょうか?

 

まず、試合で満塁ホームランを打たないといけない状況について考えてみます。

 

結論。

 

ほとんどないですよ。

 

10対0で勝っている時や、0対10で負けている時に満塁ホームランを打ってもあまり効果的ではありません。

 

だから、試合が拮抗している必要があります。

 

でも9回裏に0対1で負けている状況なら、これまた満塁ホームランを打つ必要はありません。

 

ヒットで十分ですし、場合によっては犠牲フライでも得点できるからです。

 

加えて、自分で決着をつけなければいけない時という制約が加わります。

 

もし次の打者が自分よりも打てる打者なら、何も自分が満塁ホームランを打つ必要はありません。

 

ということは、例えば2アウトに追い込まれている時とか次の打者に期待ができないという状況が必要です。

 

まとめると

 

・9回裏2アウト満塁、0対3でビハインドを追っている。

 

・次の打者は打率1割の投手。(代打はいない)

 

・決め切るなら、ここしかない!

 

という状況でもない限り、満塁ホームランを狙って打つ必要はありません。

 

ほぼないです。

 

だから、ほとんど存在しないシチュエーションのために練習することの意味と効果性を考える必要があります。

 

これがまず、ホームランありきの練習に警鐘を鳴らす理由です。

 

次に、2つ目の理由です。それが、

 

ホームランを打つための練習とヒットを打つための練習は異なる!

 

ということです。

 

私は少年野球を6年間やっていました。

 

コーチや監督からは、

 

「ホームランは狙って打とうとするな。狙っても打てないから。」

 

「あくまで、ヒットの延長線上にホームランがある。」

 

と言われていました。

 

「だから、とにかくヒットを打つための技術を習得しなさい。」と。

 

極めて明快なエピソードですが、ここに試験を攻略するための大きな本質が隠されています。

 

それは

 

基礎の積み重ねでしか、応用は突破できない

 

ということ。

 

応用を応用として解いていては、いつまで経っても合格できません。

 

応用=基礎+基礎+基礎 ぐらいに因数分解して、その基礎を確認する必要があります。

 

であれば、翻って当初から基礎に徹するやり方の方が効果的かつ効率的なのです。

 

応用力を養成するための勉強も基礎力を養成するための勉強も、基礎に徹する必要があるという点では同じです。

 

じゃあ、やっぱり

 

応用問題をやっておけば、その中に基礎的な論点が含まれているのだから、「大は小を兼ねる」上で有益なのでは?

 

という思考に陥ってしまいそうです。

 

違います。

 

これは明確に否定しておきます。

 

何が違うのか?

 

それは、難しい応用問題が兼ねているのは論点だけで、解法までは兼ねていないことに起因します。

 

大事なことなので、もう一度繰り返します。

 

難しい応用問題が兼ねているのは論点だけで、解法までは兼ねていません。

 

つまり、簡単な問題には簡単な問題の解法が存在し、難問には難問特有の解法が存在するのです。

 

論点と解法を混在してはいけません。

 

論点は、

 

応用問題=基礎(論点)+基礎(論点)+基礎(論点)

 

という相関性で成立します。

 

が、解法という点については、

 

応用問題の解法≠基礎問題の解法+基礎問題の解法+基礎問題の解法

 

であって、応用問題の解法と基礎問題の解法は単純な等式では成立しません。

 

換言すれば、応用問題の解法と基礎問題の解法は異なります。

 

だから、難しい問題の解法ばかりに目を奪われる人に限って、基本問題の解法がおざなりになり、良問の取りこぼしが目立つ。

 

毎日バットを振り回して、ホームラン打つような練習ばかりしているから、大振りになっていまう。

 

結果、シンプルにヒットを打つ方法を失念してしまい、本番の打席で空転してしまう。

 

これが、日ごろから難しい問題ばかりに意識が向く人の顛末です。

 

とどのつまり、

 

1.難問が試験に直撃で出題される可能性が極めて低いこと

 

2.難問の解法と良問の解法が異なるため、難問は論点網羅的だが解法網羅的ではなく、本番での実践力が養成されない。

 

これら2つの理由から、こと計算科目に関しては、「大は小を兼ねない。」という結論が導出されます。

 

私はこれを10年以上前から、ずっと言い続けています。

 

以上が、難問よりも良問を解くことにコミットすべし、という合格賢人からのアドバイスです。

 

改めて、上述した記載を確認します。

 

講師>受講生(講師が受講生よりも上の目線)

 

ならば、受講生が考える「良問」を反復すべき

 

ということでした。

 

では次に、「受講生が考える=自分が考える」という意味や必要性について考察を加えていきます。

 

落ちる人は、(講師が考える)難問に反応する。

 

受かる人は、(自分が考える)良問に反応する。

 

落ちる人の判断の軸は他者に依存しています。

 

換言すれば、他人任せです。

 

その結果、不必要に難しい問題を講師によって推奨されてしまい、その問題を解くことに傾注します。

 

上記、「ホームラン大振り症候群」に至る思考が知らず知らずのうちに形成されてしまいます。

 

一方で、受かる人はとにかく力がつく良問を解くことに傾注します。

 

講師が推奨する問題が「難しいだけで、力がつかないな。」と感じるならば、その意見に耳を傾けることをしません

 

もっと、シンプルで力がつく良問が手元の教材にあるので、ひた向きにそれを反復していきます。

 

では、合格者の考える良問かどうかの判断基準は何でしょう?

 

良問かどうかの判断の軸はズバリ「自分基準」です。

 

自分が「解いて力がつくなぁ。」と思う問題が良問です。

 

反復の頻度が高く、勉強量が多ければ多いほど、良問か否かの判断の精度と確度が向上していきます。

 

つまり、良問を見定める審美眼が養成されていきます。

 

この、目に見えませんが、経験によって判断の精度や確度が向上した中で感じる感覚のことを「第六感(シックスセンス)」と言います。

 

だから、「第六感」は当てずっぽうではなく、潜在無意識下で行う極めて合理的な選択なのです。

 

合格者は、自らの主観に基づいて力がつく良問をスクリーニングした上で、それを反復し計算力を養成していきます。

 

講師は客観的なことを言いますが、合格者はその発言を腑に落とした上で、主観的に行動していきます。

 

合格していくのは、結局のところ個々の「主体的な人」ですから、最後は主観を信じて行動するより他はありません。

 

その主観の精度を高めるために、客観的な講義を利用し、客観的な情報をキャッチアップしていくのです。

 

上記はかなり本質的なことを記載したつもりです。

 

理解できるまで、読み込んで咀嚼してみて下さい。

 

きっと思考のステージが一段階上昇するはずです。

 

最後に一つだけ注意点を。

 

それは、

 

経験がない人の「第六感」は非合理的な選択になる可能性があるということです。

 

つまり会計士の勉強を始めたての頃は、経験が伴っていないため、自己判断の精度が高くありません。

 

その際の「第六感」は全く当てになりません。

 

学習初期の頃は、講師の意見を素直に踏まえて勉強を継続すると良いと思います。

 

数と量をこなしていくうちに、判断の精度と確度が向上していきますので。

 

ちなみに、私の講義ポリシーは、「受講生に負担をかけずに本番で合格点を取ること!

 

ですので、講師=受講生の目線を常に意識しています。

 

講師=受講生(講師が受講生と同じ目線)

 

ならば、講師が考える「良問」を反復すべき

 

と記載したように私の講義内では、学習初期の頃から上級生の合格レベルまで一貫して「基礎力が養成される」良問を厳選しています。(不必要な負荷は全くかけません。)

 

要するに黙ってついてきてくれれば、絶対に合格レベルまで最短で導きますよ、と。

 

だから、論点網羅的な難しい問題を解くことを推奨していません。

 

そんなことしなくても合格点は余裕で取れるからです。

 

数えきれないほどの合格者を輩出し、確信に至った考えです。

 

歴代の合格賢人はかく語りき。

 

さて、

 

あなたは難問に合格の活路を見出しますか?

 

それとも、良問に合格の活路を見出しますか?

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